ネイチャに。

https://twitter.com/urakawawatanabe/status/1658032567151648770?s=46&t=jRou1-TgWZxWouZ2JmZWcg

 

このツイートを見て、なぜか君が勝った宮杯の日を思い出したよ。すごく鮮明に、まさに昨日のことのように。

 

94年か…俺は21だったんだね。

 

中京にダービー馬が来る。

そう、ウイニングチケット目当てで行ったのさ俺は。君は添え物でしかなかった。ゴメンね。

 

鬼のように混んでた、そして、暑い日だった、本当に暑かった。

 

パドック3レース待ちなんてやった事なかったんだ俺。

 

9レースからパドックに張り付いて、

暑くて暑くて、本当にただ暑くてね。

 

ビール飲みたいけど動けない。

ひたすら汗かいて、カラッカラになってね。

 

アイルトンシンボリがよく見えた、それは覚えてる。岡部さんが中京来るなんて珍しくてねぇ…

 

チケットは夏ガレしてるように見えた。それも覚えてる。翌年のタンホイザもそうだったけど、宮杯に出す雄二厩舎の馬はなぜかガレて見えたんだ。

 

マーベラスクラウン金鯱賞を南井さんで勝って、豊さんに乗り替わってた。南井さん怪我したのか騎乗停止だったのかなぁ?そこは覚えてない。

 

スターバレリーナは止まれの合図で長浜さんが出てきて、スターバレリーナより長浜さんのほうが馬面だったのはよーく覚えてる(笑)

 

いま書いた4頭のことは、いまでも記憶にあるんだ。昨日見たかのごとく。

 

けどネイチャ、

君のパドックの姿を、俺はなぜか思い出せない。覚えてないんだ。

 

もちろん勝ったのは君だ。 

 

はぁ!?!?

ネイチャぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?

ふぁぁぁぁぁぁぁっ!!!???

 

って素っ頓狂な声を上げたゴール前の事も、今でもはっきりと覚えてるのに、ね。

 

君も35になって、

俺は51になる。

 

お別れは近いかも知れないけれど、

なんとかこの夏を越してくれ。

エゴだってこたぁ、重々承知。

生きろ、生きてくれ。

 

 

 

札幌と蒲郡、そして30年の自責

出奔という言葉がある。

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無茶を勢いだけで振り切ろうとして、私は30数年前に故郷を捨てた。逃げた、逃げ出した。

行き着いた先は縁もゆかりもない愛知県の片田舎。

故郷の地下鉄は10分待たずに次の車両が来た。けれど私が新天地と定めたその地の電車は1時間に2本、なんなら時間に1本。

すごい所に来たもんだ、やべぇな生きてけるかな、と私は面白がった。

基本私はなんでも面白がった、

逆境?いいじゃんスキルアップよ。って。

 

なんでもできる、前向いてれば。

そんな気になってた、錯覚してた。

実際、横や後ろは向かなかったけれど。

前を向くことは、いや

前だけを向くことは、先頭に立つ者を支えてくれる人たちを傷つけることなんだよね。

 

前だけ向いてる人はモテる、男女問わずね。

だから私はモテた。けど、それは

無鉄砲は面白がられるから、なんだよ。

好かれると面白がられるは全く違う。

ましてそれは愛されるにはほぼ発展しない。し、面白がられる人は面白がる人を愛せない。

 

まぁ、おかげで沢山の知り合いを得た。

 

沢山の知り合いを得て、酒と金を介していくつもの笑顔とそれを上回る苦悩、後悔を背負うことになるのはまた別の話。

 

蟹食べに行こうハリソンフォード

リズムが弾けて恋するモード。

 

 

外面だけいい男に

伴った女性には心労だけをかけ、

2人の子供を授かるも、

基礎のできてない建物は壊れるのみ、

いとも簡単に、私の家庭は私の愚かさゆえに崩壊し、彼女たちは北へ帰った。

 

そう、私の根幹には

いや、私には、私の行動には根幹がない。

 

よく親が、親戚が。私のことを根無草と揶揄した。

当時の私は、馬鹿野郎、根っこ生やせばいいんだべ?やったるわ。道産子は開拓民なんだわ、

やればできるんだわI'm a 北海道man

なんて嘯いてみたものの、

所詮私は開拓民でなく先住民の末裔だった。

開拓する術なんてDNAレベルに1mmも無かったんだなぁ。

 

根っこが生えてないくせに

言うことだけはデカい、当然こんな大言壮語は潮に流される砂文字の如く雲散霧消してしまう。

 

…自己弁護するけどガキなんてそんなもん。

 

↑問題はこのガキが俺できるから黙ってついて来いとかいうのがどうしようもないんだよなぁ。

 

今の私が過去の私に会えるなら言いたい、

やめれ、お前は自分が思ってる程なんも持ってないよ。

お前自分が楽しむだけしか知らないべ。

自分が楽しむために、

人を傷つけるのって、人を泣かすのって、格好悪くねえか?

 

けど過去の私は、その格好悪さに気づかないんだろなあ。

 

楽しいが正義!とか言ってビールジョッキ天に掲げてたもんなぁ。

 

2人で北海道から出てきて

1人で三河に残り、

なにを遺すでもなく、無為に日々を過ごす。

 

けど捨てる神あれば拾う神あり。

 

いつの日か輝くだろう今宵の月のように

 

転々と職を変え、住処を変え。

ここらの話は書きたくても書けん。

まぁ、法は侵してないはず、たぶん。

 

 

なんだかんだがありまして、

気づけば30年、気づけば50。

 

行き着いた安住の地、それが蒲郡なのかなぁ。

そして行き着いてたどり着いた人が女神様だったんだなぁ。

 

こんな私でも心を寄せてくれる人がいるなら、その人に応えたい、残りの人生を懸けて。

もう人を哀しませたくない。

 

いつもありがとう、本当にありがとう。10年もの長きにわたりこんなどうしようもない男を見続けてくれてありがとう。

 

私を見てくれているその視線がなければ私は誤った道に進んでいたかも知れない。

 

少しずつ、遅々としてるけれどそれなりにまともになってるはずです。足りないと感じてたらごめんなさい。言葉にしてください。その言葉に素直に従える程度には成長できてる…はず、です。

 

 

蒲郡で地盤が固まってきた、終活の道筋も見えてきたかな。

そう思ったら札幌で、父親が弱ってきました。

 

たぶんそう長くはないと悟ってるのでしょう。

あれだけ忌み嫌ってた私にシンパを送ってきてます。正直気持ち悪いですが、好き勝手にやらせてもらった恩義もあります。

 

私が働けるのはあとせいぜい10年、

さぁ、どうしたものか。

 

振り返れば30年前、50の私なんか想像もせず未来予想図なんて描きもせず手ぶらできた三河

そんな道産子を迎え入れてくれた三河

 

最後の采配をどう振るうのか。

 

北に帰る人の群れは誰も無口で

海鳴りだけをきいてます…

 

あぁ、無口は無理だ(≧∇≦)

 

気づけば5時前かい。

まぁ今日、明日で決める話じゃない。

 

最後の選択、残り時間はまだある…と信じたいね。

語っても語っても語り足りねぇ女の話

 

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シーイズトウショウ

 

父 サクラバクシンオー

母 ジェーントウショウ

母の父 トウショウフリート

 

主な勝ち鞍

2003 CBC賞

2004 函館SS

2005 函館SS

2006 CBC賞

2006 セントウルS

 

↑ふぅ…良かった。函館SSCBCしか勝っとらんかったらどうしようかと思った(笑)

まぁCBCもセントウルも施行条件いっしょなんですけどね(≧∇≦)

 

この仔はねぇ…

絵に描いたような

帯に短し襷に長し。

 

結果的にG1では足らんかった。

 

けどねぇ、燃やした。

私はこの仔にめちゃめちゃ情熱を燃やした。

燃やして燃やして燃やして燃やして

一酸化炭素中毒起こさなかったから

まだ生きてるんですの、私。

逆にシーイズトウショウで不完全燃焼起こしてたら、もしかしたら私は競馬やってないかもしれない、今。

 

数多のスターホース

スーパーホース数あれど、

私にとって

本当に競馬とはなんぞや、

ブラッドスポーツとはなんぞや、

いろんなこと教えてくれた

愛すべき馬なのです。

 

彼女の父はサクラバクシンオー🌸

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語りたいこと多々あれど、書き連ねたら3日じゃたりないので語りません!(≧∇≦)

駆け落ち同然で愛知に流れ着いた私を、文字通り救ってくれた馬。とだけ書き記しておきましょう。

 

彼女の母、ジェーントウショウは

さしたる競走成績を修めることはできませんでした。そしてジェーントウショウの父であるトウショウフリートもまた然り。準重賞の特別レースを勝った程度の馬でした。

しかしなぜか種牡馬となり、ジェーンの父親として名を連ねてくれました。

 

トウショウフリート

 

彼に私は救われているのです。

駆け落ち同然で愛知に流れ着く前の北海道でチンピラまがいの生活をしていた私(笑)

いよいよ切羽詰まり、今日の糧すらなくなるや否やで出会った函館の臥牛山特別。

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2着に人気薄を連れてきてくれて、私に新天地でやり直すきっかけを与えてくれたフリート。

 

そのフリートの血を受け継ぐジェーンと、愛してやまないバクシンオーの仔。

 

そりゃ燃えますよ、煮えますよ。

 

「はぁ?バクシンオーでBMSフリート??」

 

私、はじめてシーイズトウショウの血統見た時笑いましたもん。なにこれ私に心血注がせる為だけに生まれてきたのこの仔!?って。

 

いま5時27分なんですが

あぁ、このあとシーイズとの出会いから引退までを書き連ねたらこれは寝れない明日の仕事に響くと言うことに気がつきました。

あの頃の私なら、最後まで書き切っていたかもしれないけれども…歳を重ねるということはなんと残酷なことでしょう。

指を動かすスタミナまでも奪い取るんです、ええ。

 

シーイズが昨日、天に旅立ちました。

 

シーイズにバシッと弔辞を捧げたいけれど、

自分の中で噛み砕いて…

いや。

その頃のこと振り返ったら、ねぇ。

 

沈黙は金なのかな。

けどもっと書きたいな………

 

まずはシーイズにお別れを告げよう。

そして、

シーイズと闘ったあの頃の私を振り返る余力がある時に、少しずつでもいい、書き足していこうかな。

 

 

 

 

 

世に名馬あり。けどそれは

 

テンポイントでもオグリでもディープでもない。

 

私の心を鷲掴みにしたG2勝ち馬。

貴女との出逢いと別れを、いつか語りつくせればいいなぁ…

 

 

 

 

違和感が塊となって虫の居処を悪くする

ここのところ私が嗜む国営公営賭博業界に関連した、Twitterを始めとしたSNSで散見した事象、またはそれを記した記事、そしてそれに関するユーザーの反応にものすごく違和感を感じた…のでそれについてのことを記しておきたい。

 

その一つは過去を彩った名馬の天逝。

今週、アグネスデジタル號とノボトゥルー號が相次いで天に召された。

アグネスデジタル號は24歳、

ノボトゥルー號は25歳である。

それに対してTwitterの私のTLでは惜しむ声が溢れていた…の、だが…

 

アグネスデジタル號を管理した白井寿昭元調教師のコメントを抜粋し引用したい。

 

「人間でいえば96歳、

良く頑張ってくれました」

 

なのである、私は非常に同感した。

 

なのに、である。

『まだ早い』

『なんでこんなに早く』

『信じられない』

といった論調のツイートを散見したときの

違和感たるや。

 

こと邪推するならば、

アグネスデジタル號に関して言えば

天逝する直前にTwitterにupされた写真が関係しているのかも知れない。

引用はあえて避けるが、

現役時代の筋骨隆々なシルエットとはかけ離れた、あばらの浮き出た馬体に、抱き寄せれば折れてしまいそうな首筋。

言葉を選ばず書いてしまえば

素人目にはちゃんと飼育されているのか、と疑念を持たれた方もいたかも知れない。

幸い私には、幼い頃1頭の馬を看取った経験があったのでそうは見えなかったが。

彼の現役時代、馬券を握りしめ「マトバー!」「シイー!!」と叫んでいた私にも、彼の姿にある程度の衝撃を受け、また、そう遠くない未来に彼との別れを覚悟させた写真であった。

 

駄菓子菓子、である。

生あるものいつかはその幕を閉じる。

96まで生きた者に対し、

まだ早いとはなんぞや?

200まで生きろと?

いや、君はデジタルが引退してから

どれだけデジタルを思い出した?

ノボトゥルーが引退してから

どれだけ君はノボトゥルーに思いを馳せた?

 

 

 

 

エゴだよ、それは。(©️アムロ・レイ)

 

 

 

 

早い遅いを断じられるのは、

牧場でデジタルの、ノボトゥルーの最後を看取った牧夫さんだけに許されるものであると私は思う。

 

 

 

ここで私の虫の居処メーターがグングン上がっていったのである。

 

 

 

続いては艇界に目を向けてみよう。

 

これを記している今日、

いや、日付変わって昨日か。

競艇の最高峰レースであるSG競争を2度制した我が同郷の先輩、熊谷直樹選手が引退を発表し記者会見を開いた。

その2週前には、私と同年齢の野添貴裕選手が怪我からの復帰を断念し引退、

また先週の尼崎競艇において、白石浩二選手と橋本健蔵選手も引退された。

同年齢の野添選手はもちろんのこと、

こと白石選手に関しては、

かつて血道を上げて

寝る間も惜しんで張り切ってやっていたSNSグループを介し、ほんの僅かながらやり取りがあった選手なので心にグッと来るものがあった。

 

このニュースに対し、惜別の声を送るTwitterユーザーで私のTLは埋め尽くされた、の、だが。

 

 

 

 

 

 

ここで私の虫の居処メーターはマックスを振り切った。

 

 

 

 

 

以下心の声吐露。

 

 

 

 

オマエら買ったか?

買っとったか?舟券

百歩譲って熊谷や野添は買っとったかも知れんわ。けどな、シラコーさんや健蔵の舟券なんてほぼほぼ買っとらんやろ。

健蔵のインなんてハイワロハイワロで思いっきり消しとったん違うんか?

引退したら綺麗事か?美辞麗句か?

笑わすなよ。笑い取るのは4カドで握って流れて捜索願を出される吉田徳夫に任せとけや、と。

 

 

 

歳を重ねれば、自ずと身体は動かなくなる。

彼らはその葛藤に自ら決断を下したのである。

それに対して取ってつけた美辞麗句で送り出すのは、適当ではないと私は考える。

むしろヤジるべきだ。このクズ、ダボハゼ、しゃんと走れんかったら辞めてまえ、と。

その代わり、ゆっくり休め。今まで俺達を楽しませてくれた分、ゆっくりくつろいでから第二の人生楽しんでくれ、と。

 

 

 

温度差というか、死生観、また引き際に関し

ここ数週間、イライラヤキモキしていたけれど

文字にしたことで私の怒りメーターも下に振れてくれる事を祈りつつ、もう1本飲んで寝ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

思い出のマイネルブリッジ

マイネル岡田総帥が亡くなった。

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小柄な方が多い競馬関係者のなかで、ひときわ目を惹くすらりとした長身にスーツ姿。

初めて総帥を見たときは素直にカッコいい方だなぁ、と見惚れたのを覚えています。

 

私は今日夜勤でした。仕事中、なんとなしに過去に縁のあったマイネル軍団の馬たちに思いを馳せていた…とき、久々にブログにしなければと思い立ちました。

 

時は遠く遡って1996年、私は24歳です。

おぉ、ちょうど人生の半分前か。

当時の私は、たいした稼ぎも無いくせに競馬に完全にのめり込…いや、狂ってました。

馬券戦術の基本は、ここと決めたレースにドカンと1点張り。まぁその頃は馬連しかありませんでしたから、単勝がメインだったように記憶しています。故になかなかの高勝率&回収率をキープしていました。

ただ、サクラの馬が出てきた時だけは駄目だった。駄目なんてもんじゃない、それはそれは目を覆いたくなる惨憺たるものだったんです。

 

さらに時は遠く遡って、

私がはじめて自分の金で馬券を買ったのが、1988年のダービーでした。

(まぁ年齢とか面倒なことはいいです、はい)

バイト代握りしめ、札幌場外だと親父の知り合いに見つかる可能性が高いので狸小路のウインズB館へ…まぁ結局その日親父の知り合いに見つかり後からがっつりヤキ入りましたけどね(笑)

 

あれ……これさらに時を遡らせて私と競馬との出会いと付き合いも語らなきゃならなくなるぞ?

 

うーん、1972年の札幌競馬場まで遡らせましょう、時系列めちゃくちゃだなぁ。

仕方ないんです、夜勤明けでクリアアサヒとトリスハイボール濃い味が、腹の中でいい感じで混ざり合い溶けあいながら書いてるので。

 

けど、まぁ話長くなるので

めっっっちゃ端折って書きますね。

 

お袋が行けだの差せだのまくれだの絶叫してるときに陣痛、そして出てきたのが私です。

親戚からは「昭和の厩戸皇子」と呼ばれたとか。

まぁそんな感じで競馬がとても身近な存在の少年期、同級生の愛読書はコロコロやジャンプ。もちろん私は週刊競馬ブック優駿競馬四季報が愛読書でした

(だってそれしか無いんだもん)

そんな少年の憧れは小島太騎手でした。

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騎手としては長身で、彼が駆る姿は子供心に素直に格好良く映り、

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サクラの勝負服、ピンクに白の一本輪がとても良く似合ってて…

同級生が原辰徳中畑清に夢中になってるのと同様に、私のヒーローは小島太騎手でした。

そんなフトシさんがサクラチヨノオーと共に勇躍挑んだ88年ダービー。

まだ昭和なんですね、昭和63年です。

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岡部騎手のメジロアルダンとの壮絶なデッドヒート。差し返してクビ差見事に勝利!

 

…初めて自分の金で買ったレースで、

こんなの見せられたら、魅せられたらねぇ。

 

そりゃあ以降サクラの馬たちと心中する盲目馬券野郎が1人生まれちゃうじゃないですか。

 

重馬場まるで駄目なのに、勝負レースは決まって雨のホクトオー、評価は高くても結果の出ないヤマトオー。名前はワールドワイドなのにこじんまりまとまったセカイオー、ダビスタで言えば気性C、いや気性Zのエイコウオー…

嗚呼、バクシンオーやチトセオーが出てくるまでの黒歴史よ。

 

そしてこの頃、仕事で愛知県へ移り住みまして。

当時は関西圏では関東のレースは重賞以外買えなかった、いや買わずに済んだと言ったほうが良いかも知れません(笑)

まだサクラは関東馬しかいなかった頃なので、この頃から私の馬券成績も安定してきました。

 

あー、長かった前置きも終わり、ようやく本題の1996年有馬記念です。

 

 

前走の天皇賞(秋)で思わぬ敗戦を喫したサクラローレルが1番人気。次は俺が乗って勝つと吹いた境勝先生は鞍上にはなく(当たり前だ)

騎乗ミスを挽回すべく、横山典弘一世一代のリベンジマッチとなりました。

ん?小島太はどうしたって?あぁこの前の年に引退しております。だったら小島太の前置き必要ないだろって?…いや、だって書きたかったんだもん(笑)

 

 

いつもなら単勝1点勝負が信条の私でしたが、

若さ故の根拠のない自信が湧き、このレース、武豊鞍上のマーベラスサンデーとの馬連1点勝負に出ました。

今思えば狂ってた、いや、その表現すら生ぬるい。

身の丈を越えた金をマークシートと共にドンと窓口に放り込む。なんの後先も考えず、その行為自体に悦に浸っていたのでしょうね。

稼ぎの少ない小僧っ子、当然そんな金を稼ぎで賄える訳もなく…出所はお察しの通り。

 

 

レースは進み、いざ直線。

2番人気のマヤノトップガンが前に出るものの手応えに余裕はなく、ズバリ私の目論見通りサクラローレルマーベラスサンデーが抜け出す……んですが………

内からスルスルとマイネルの勝負服。

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完全ノーマークのマイネルブリッジの手応えがいい、いや、良すぎる。

おい、ちょ、ちょっと待て、待て、待て、まて、ちょ待てよ!

やめろやめろやめろ死ぬ死ぬ死ぬ沈む沈められる社会的じゃなく物理的に自分の意思じゃなく死ぬ!うがぁぁぁ!

 

 

あんなに恋焦がれたサクラの勝負服が鮮やかに抜け出しているのに、2着争いだけしか目に入らない。

中山の直線があんなに長く感じたのは後にも先にもあの時だけでした。

 

https://youtu.be/exrXWIOPILQ

 

2着は無事マーベラスサンデーの入線となりました。だから今ブログを書けているんですけど。

 

確定ランプが灯り、ありえない金額の払い戻しを受け取り、駐車場まで2人の警備員に付き添われ家路へ。

 

その時の私は、なんの昂揚も無かったです。

ただ生死の恐怖から脱した安堵のみ。

そして悟ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、器じゃねぇ」と

(≧∇≦)

 

 

 

 

 

 

 

なーんかおかしくね?

コロナショックで生活できない!

すわ給付しろ、生活助けろ、カネよこせ!


えーーーーーーーーーーーっと、ねえ。


おかしくね?クレクレ乞食の発想よそれ?


例えばこの数十年。


阪神淡路、9.11、リーマンショック、3.11…


私が成人してからに限定しても、4回「も」

国難があったわけ。


なんなら自動車関連に携わってきた私にしたら湾岸戦争の時も海外向けのクルマ売れなくなって往生こいたのを覚えてます。


「備えあれば憂いなし」って言葉あるよね。


有事に際して誰かが助けてくれるなんてのは甘いと思うのは私だけ?


そういう時に備えて蓄えておきなさいよ…


ん?私?蓄え?????


ないけどさ!(≧∇≦)



つっても、だ。

いま全世界が窮してる。

少しだけでいい、ちょっと日々の生活をスケールダウンしてみようよ。

例えばビールを発泡酒

普段発泡酒のひとは発泡酒を焼酎に

普段焼酎のひとは焼酎を工業用エチル…

すみません誇張が過ぎました(≧∇≦)


ちょっとでいい、切り詰めようよ。


この国難、いや地球難。

まだまだ先は長いよ。

30万の給付くらいじゃとても乗り切れないと思う。


国にカネくれカネくれってごねるより

身近でできること、少しずつ。やろうよ?


と、思って駄文を書き連ねて酔っ払っていい気分になったので寝る(≧∇≦)


金曜日、あと1日出れば休みだ。

仕事があって酒が飲めてグダを巻けて…

それだけで幸せだよ。

さぁ頑張るぞ!