思い出のマイネルブリッジ
小柄な方が多い競馬関係者のなかで、ひときわ目を惹くすらりとした長身にスーツ姿。
初めて総帥を見たときは素直にカッコいい方だなぁ、と見惚れたのを覚えています。
私は今日夜勤でした。仕事中、なんとなしに過去に縁のあったマイネル軍団の馬たちに思いを馳せていた…とき、久々にブログにしなければと思い立ちました。
時は遠く遡って1996年、私は24歳です。
おぉ、ちょうど人生の半分前か。
当時の私は、たいした稼ぎも無いくせに競馬に完全にのめり込…いや、狂ってました。
馬券戦術の基本は、ここと決めたレースにドカンと1点張り。まぁその頃は馬連しかありませんでしたから、単勝がメインだったように記憶しています。故になかなかの高勝率&回収率をキープしていました。
ただ、サクラの馬が出てきた時だけは駄目だった。駄目なんてもんじゃない、それはそれは目を覆いたくなる惨憺たるものだったんです。
さらに時は遠く遡って、
私がはじめて自分の金で馬券を買ったのが、1988年のダービーでした。
(まぁ年齢とか面倒なことはいいです、はい)
バイト代握りしめ、札幌場外だと親父の知り合いに見つかる可能性が高いので狸小路のウインズB館へ…まぁ結局その日親父の知り合いに見つかり後からがっつりヤキ入りましたけどね(笑)
あれ……これさらに時を遡らせて私と競馬との出会いと付き合いも語らなきゃならなくなるぞ?
うーん、1972年の札幌競馬場まで遡らせましょう、時系列めちゃくちゃだなぁ。
仕方ないんです、夜勤明けでクリアアサヒとトリスハイボール濃い味が、腹の中でいい感じで混ざり合い溶けあいながら書いてるので。
けど、まぁ話長くなるので
めっっっちゃ端折って書きますね。
お袋が行けだの差せだのまくれだの絶叫してるときに陣痛、そして出てきたのが私です。
親戚からは「昭和の厩戸皇子」と呼ばれたとか。
まぁそんな感じで競馬がとても身近な存在の少年期、同級生の愛読書はコロコロやジャンプ。もちろん私は週刊競馬ブックと優駿、競馬四季報が愛読書でした
(だってそれしか無いんだもん)
そんな少年の憧れは小島太騎手でした。
騎手としては長身で、彼が駆る姿は子供心に素直に格好良く映り、
サクラの勝負服、ピンクに白の一本輪がとても良く似合ってて…
同級生が原辰徳や中畑清に夢中になってるのと同様に、私のヒーローは小島太騎手でした。
そんなフトシさんがサクラチヨノオーと共に勇躍挑んだ88年ダービー。
まだ昭和なんですね、昭和63年です。
岡部騎手のメジロアルダンとの壮絶なデッドヒート。差し返してクビ差見事に勝利!
…初めて自分の金で買ったレースで、
こんなの見せられたら、魅せられたらねぇ。
そりゃあ以降サクラの馬たちと心中する盲目馬券野郎が1人生まれちゃうじゃないですか。
重馬場まるで駄目なのに、勝負レースは決まって雨のホクトオー、評価は高くても結果の出ないヤマトオー。名前はワールドワイドなのにこじんまりまとまったセカイオー、ダビスタで言えば気性C、いや気性Zのエイコウオー…
嗚呼、バクシンオーやチトセオーが出てくるまでの黒歴史よ。
そしてこの頃、仕事で愛知県へ移り住みまして。
当時は関西圏では関東のレースは重賞以外買えなかった、いや買わずに済んだと言ったほうが良いかも知れません(笑)
まだサクラは関東馬しかいなかった頃なので、この頃から私の馬券成績も安定してきました。
あー、長かった前置きも終わり、ようやく本題の1996年有馬記念です。
前走の天皇賞(秋)で思わぬ敗戦を喫したサクラローレルが1番人気。次は俺が乗って勝つと吹いた境勝先生は鞍上にはなく(当たり前だ)
騎乗ミスを挽回すべく、横山典弘一世一代のリベンジマッチとなりました。
ん?小島太はどうしたって?あぁこの前の年に引退しております。だったら小島太の前置き必要ないだろって?…いや、だって書きたかったんだもん(笑)
いつもなら単勝1点勝負が信条の私でしたが、
若さ故の根拠のない自信が湧き、このレース、武豊鞍上のマーベラスサンデーとの馬連1点勝負に出ました。
今思えば狂ってた、いや、その表現すら生ぬるい。
身の丈を越えた金をマークシートと共にドンと窓口に放り込む。なんの後先も考えず、その行為自体に悦に浸っていたのでしょうね。
稼ぎの少ない小僧っ子、当然そんな金を稼ぎで賄える訳もなく…出所はお察しの通り。
レースは進み、いざ直線。
2番人気のマヤノトップガンが前に出るものの手応えに余裕はなく、ズバリ私の目論見通りサクラローレルとマーベラスサンデーが抜け出す……んですが………
内からスルスルとマイネルの勝負服。
完全ノーマークのマイネルブリッジの手応えがいい、いや、良すぎる。
おい、ちょ、ちょっと待て、待て、待て、まて、ちょ待てよ!
やめろやめろやめろ死ぬ死ぬ死ぬ沈む沈められる社会的じゃなく物理的に自分の意思じゃなく死ぬ!うがぁぁぁ!
あんなに恋焦がれたサクラの勝負服が鮮やかに抜け出しているのに、2着争いだけしか目に入らない。
中山の直線があんなに長く感じたのは後にも先にもあの時だけでした。
2着は無事マーベラスサンデーの入線となりました。だから今ブログを書けているんですけど。
確定ランプが灯り、ありえない金額の払い戻しを受け取り、駐車場まで2人の警備員に付き添われ家路へ。
その時の私は、なんの昂揚も無かったです。
ただ生死の恐怖から脱した安堵のみ。
そして悟ります
「嗚呼、器じゃねぇ」と
(≧∇≦)